29.3.10

LEGENDO

最近、学校に着く前にはシャツが汗でびしょ濡れになる。
その後、授業を受けてても、カッパしながら一服してても汗が滴り落ちる・・・
「水も滴る・・・云々」
そういうカッコイイとか何とかみたいな考えはどこかに忘れてきた。


チェンナイは夏


今日学校行ったら、チェンナイ以上にアツいDefence Studies

いつものようにノラリクラリしながら11時前に学部に到着したら、
すでにHOD(学部長)の授業が始まってた。
ここ半年くらい授業開始は11時15分過ぎ・・・だから、今日もまったく問題ないと思ってた。


「なぜ遅れた?」

・・・アンタ、普段こんな時間に始めないじゃん 今日に限ってツイテナイ 泣


「Sorry, sorry バスが来なくて・・・」

・・・バスは予定よりも早く来て、本当はジンジャーカッパに時間取りすぎた。もっと早く来ようと思えば、来れたけど。



「罰として廊下に立ってろ!!」



Σ(゚∀゚ノ)


 ぎゃ


25歳にして、人生で初めて廊下に立たされた俺www
見た目オッサンに成り下がった大学院生なのに、俺はカツオか?のび太か?
バケツを持たされなかったのが唯一の救い

うちの学部の廊下は幅が広くて、集会所にもなるサイズ。
そんな場所にあるのはオマケ程度の天井扇風機。
体を壁ぴったりつけて立ってると、扇風機の風は当たらなくて暑い。
何もしなくても汗が噴き出る。だから、直接風に当たれるように廊下中心に移動した。

そこにプレバカランがやってきた。


「お前、立たされてるのかwww よくある事だwww」

・・・ねーよ Σ(´∀`;) 


少なくとも日本じゃ見られない光景。
もう一度言うけど、俺は25歳の成人男性

プレバカランはいつもの敬礼をしながら自分のオフィスに帰っていった。
それから10分。

HODが様子を見に来た。



「誰が扇風機の下に立っていいと言った?」



( ;゚皿゚)ノシΣ


 びえー


ヤメテ、これ以上
イジメ、カッコ悪い。

それから、どうにか教室への侵入許可が下りた。

授業は71年第三次印パ戦争におけるインドの軍事行動がトピックで、うちの学部出身のアーミージェネラルが当時指揮を執り、今ではインド軍内で伝説的人物と言われる人間がいるという話になった。HODは今でも何年かに一度、デリーでその伝説男に会ってるらしい。

(うちの学部が創設されたのは77年、第三次印パ戦争は71年。当時、うち出身の卒業生は存在しない・・・はず。でも、伝説だからね、何でもアリだ。細かいこと突っ込むとまた廊下立たされちゃうもんねwww)

てか、その伝説男の話の間、HODが俺を睨んでる。
「何年かしたら、2010年にも伝説を残した学生がいたことが話題になるだろう。私の授業に遅れてきて、廊下に立たされた日本人学生が居たと・・・」


!!!!!!!!


本気でヤメロ ヽ(`Д´)ノ


俺はそんな訳分からんレジェンドを狙ってるわけじゃないんだ
なんかスゲー馬鹿みたいじゃんwww

チェンナイから出て行くときは違う形でレジェンドを残したいと思います。


今週も張り切って参りましょう。


23.3.10

Medha Patkar

現在午前2時47分、徹夜を覚悟したレポートが思ったよりも早く終わった。3週間の猶予があったにもかかわらず、この時間までやってること自体ふざけてるwww

今回のタイトルは 

"The Narmada River Dam Project"


今回はいつもに比べて気合入れて書いた。
なぜなら、Narmadaに関して個人的な思い入れが強いから・・・

ちなみにNarmadaとは、
1940年、ネルーが主にグジャラート州を流れるナルマダ川の開発を提案した。1979年になって世銀や日本の借款によりNarmada River Dam Projectが正式に開始されたが、ダム建設に伴う問題を背景に1990年に世銀が融資を打ち切られた。問題としてダム建設で水没する村の住人の移住問題(人権問題)、環境破壊などが挙げられる。また抗議運動の激しさも増して、その勢いは海外にまで及んだ。ハンガーストライキを含む抗議活動はNarmada Bachao Andolan (NBA)のMedha Patkarが主導した。



Σ(; ゚Д゚)カッ


ブログ用に要約、しかも日本語で・・・ レポート書いてる時よりも頭使ったwww



個人的感情とはMedha Patkarのこと。






あの人が2008年、G8で日本に来たとき、ビザに始まり飛行機から何から何までアレンジしたのは紛れもなく俺。当時は仕事とはいえ、「ババァ、この野郎!!俺の言うことを聞けっ!!」みたいな感情を持ったのは若気の至り

新千歳で誰かにピックアップしてもらわないとホテルには行けないとかゴネやがって・・・ でも、ムンバイ土産は記念になったよ。感謝してます。

今回のレポートのテーマが環境問題への政治介入だった訳で
過去の経験あって、それでMedhaを使った。

チェンナイに来て初めて分かったことは
Medhaのことは日本に居た時からスゲーとは思ってたけど、
インドの新聞を読めば1ヶ月に1回は名前がでる。
こっちでは普通に有名人扱いなんだよ。

知らなかった (`ω´)グフフ


秘書と仲良しやってる場合じゃないね


図らずも知らず知らずのうちに、偉そうな人に関わってたらしい。
教授に言ったら、また口がアングリしてた。


「お前は本当に無茶苦茶だな・・・」


Medhaのコーディネートしたことある日本人なんて滅多にいねぇよwww


個人的感情はとりあえず置いといて、
お陰で上出来のレポートが出来上がった。


18.3.10

婚姻届を出した2人

日本時間で18日深夜0時を少し回った頃、
日本のトモダチ2人からスカイプ着信。


「これから一緒に婚姻届を出してくる  ヽ(・ω・)/」


「これは出しに行く前の報告だ」


俺に報告する必要なんて無いのに・・・とか思いつつ、これほど嬉しいことはないね。結婚することも挙式をあげることももちろん知ってたけど、スカイプ越しに提出されるのを待つ婚姻届を目撃するとは思わなかった。2人が家を出るまでの少しの間しゃべったけど、どうにも会話にならん。

嬉しさの余り、なんだか泣けてきちゃって・・・
当の本人はまるで他人事かのようにアホ面晒してるのに 笑

今夜は2人にとって大切な日。
だから、結婚する前、最後の時間に思うことをすべてビデオに収めた。
未来の孫へのメッセすら残した。

きっと大丈夫、ハイビジョンなら100年後もキレイに残ってるはず。
今日という日がどんなだったか100年後にガキと一緒に確認しなさい。

そして一旦スカイプ切って、2人はその後市役所へ向かった。



2時間後。


「戻ってきた。あんま実感ないね ( ゚∀゚)o彡°」


「・・・結婚しました。」


・・・おめでとうございます

守衛室前で撮った写真に映った2人はすでに夫婦の顔をしてたよ。
最高にカッコイイダンナとカワイイ嫁


婚姻届けを出し終えた2人
明後日の挙式に向けて、明日早朝から現場に入るという。

6月には披露宴と2次会が待ってる。

この2次会は俺が仕切る。

2人に相応しい最高の2次会にしてやるから。


結婚おめでとう


17.3.10

OTA入場拒否




たしかインド国内には3ヶ所しかないOTA
そのうちの一つがチェンナイにある(空軍基地の裏だった気がする)。

Officers Training Academy 軍人養成学校

今月26日に行われる予定のパレードのリハーサルが明日早朝にOTAであり、防衛戦略学部も見学OKの許可をOTA本部から得た。うちには現役軍人がM.Philも含めれば5人もいる。今回は教授ではなく、その5人のコネでOTA公式訪問が可能になった。

先週のCoastal Guardの件があるから、交渉を担当をしてくれたCol. Rao Sirには十二分に念を押しておいた。

「外国人の俺にも入場許可を!!」

セキュリティーの観点から外国人の立ち入りを禁止をするのは理解する。でも、俺だって防衛戦略学部の人間だ。前回に引き続き、貴重な機会を逃すわけにはいかないんだ。


今朝、Rao Sirに会った瞬間
真っ先に出た言葉は、

"Extremely sorry for you"


「理解して欲しい。これがOTAのルールなんだ」


先週から、何人何十人にSorryと言われた?

・・・ヤメロ q(゚д゚ )ウルセェ


情けをかけられると余計にみじめになる。
同情の言葉が空しい。
そもそも、俺だって軍事施設に外国人がホイホイ入れるなんて思ってない。


チェンナイにいる限り、日本人であることで周りのローカルよりもアドバンテージを得る機会が多い。俺自身のキャラクターと経歴によるところも多いけど、これまでの待遇やコネなどは他の連中とは比較にならない。しかし、アドバンテージを得ると同時にディスアドバンテージを被ってることも事実だ。今回や前回の沿岸警備隊クルージングは防衛戦略学部としての公式イベント。日本人であることで参加が許されないのであれば、これは利益とは言い難い。

核となる部分で損を被って、どうでもいい周辺部分のみでメリットを享受するなら、ここチェンナイにいる意味が成り立たない。結果的に俺が防衛戦略学部で勉強する意味は曖昧になりそう・・・

でも、だからと言って何も出来ない。
俺のパスポートはJAPANと書いてある。
こればっかりは変えられない。


残ったのは半端ないハブられ感


16.3.10

Becks...











Please Becks...




15.3.10

Twinkle Uncle

法学部のアンクルが誕生日だった。
3月14日生まれ、これがもし日本だったら素敵過ぎて天使になれるかもしれん。
毛深い天使・・・ OOPS

一昨日くらいから、誕生日は何がしたいか尋ねたところ
酒が飲みたい、それも強い酒が飲みたいと言ってたので、
大量のラムを買い込んで、5人で乾杯。

(タミル人×2、ラジャスタン人×1、ネパール人×1、日本人×1)


その後、とりあえずアンクルに何歳になったのか聞いてみた。


「たぶん33~37の間 (^ω^)」


・・・そうね、飲もう
とりあえず飲んで忘れよう
今日はメデタイ日なんだから・・・

細かいことはどうでもいいんだよ。
Ashwinよ、「このオッサン何言ってんだ?」みたいな顔してこっちを見るんじゃない。
いちいち重箱の隅を突っつくのは空気の読めない大人のやること。
それにバンクーバーとソチくらいのタイムラグはインドではよく起きる。
大きな間違いじゃない。


で、本当はいくつ?


聞いたら、
エンジェルスマイルで教えてくれた。


「34~37の間 ( ^ω^ )」


すげー 1歳縮んだ!!

もう一度聞いたら、35~とか言い出すかもしれん・・・ 3回聞いたらアウト
いやいや次は37~になるはず

・・・びえー 謎は解けた。 俺は金田一になれる。


アンクルは37歳


完璧じゃね?
仮に違っても大きな問題じゃない。
ここはインドだ。
アンクルがいくつであろうと、見た目は50歳にしか見えない 爆

今日は別件の用があったから、俺は9時過ぎにお疲れ。
帰りのバスで気づいた。
ひとつ難題を片付けたと思ったら、もう一つ難題があったことを忘れてた。
アンクルの名前が分からない・・・ ゚(∀) ゚ エッ?

知り合って半年。
アンクルはUNCLE =年上

問題はひとつ
今夜、俺が一緒に飲んでたのは一体誰なんだ?

大学の寮に住んでて、授業に出ないで一日中寮でフラフラしてるこのオッサンは誰?てか、なんでテストを自分で部屋で受けてんの?てか、なんで教授がテストの回収に寮まで来てんの?待遇がVIP過ぎるwww
人間はアンクルの壮大でダークなバックグラウンドを知らなくても、
ぶっちゃけ大きな問題じゃない。

アンクルはアンクルだ。


インド 底が知れん(笑)


14.3.10

仕事下さい。

噂が立っております。

「ディフェンススタディーズの日本人」
・・・誰の事かしら?

「スリランカに居てLTTEとも友達」
・・・知ってるような知らないような (/▽゚\)チラッ

「そして、イケメン
・・・それ俺じゃね? ゼッタイ俺じゃん!!


最後の言葉は冗談としても、巷では俺の噂が流れておりました。
(因みに自分で自分の噂を流すほど俺も暇じゃねぇよ)

その流れで見知らぬ教授から電話を頂きました。
「噂で聞いたんだけど、日本人なのにスリランカに居たの?それもLTTEエリアだって?訳分からんね、まったく・・・。どうせろくなことしてなかったんだろ?事情聴取するから今度うちのオフィスに来なさい」

・・・無礼 そして 非礼

俺のこと、訳分からんとか言うけど
一番訳分かんないのはあんたでしょ。

聞けば、スリランカで循環型農業やってんだってさ。
へぇ 俺もコンポスト(堆肥)のことだったら知識ないけど体が知ってるよ。
腐った米とかを味見する罰ゲームはよくやってたんだ 爆

何が決定打になったか知らんけど、
話をしたついでに夏に一緒にスリランカに行かないか?とのオファーを頂きました。
有難い話です。

しかし、スゲー面白いとは思うんだけど、
ずっと張り付くわけにはいかんのよ。
別件で北部マナーに行く予定だから。

それに加えて、
ラジャスタン行って、HDDハンディカム買って、日本帰って、
幕張で結婚式出て、台湾にも行って、飲みに行って・・・
要するに金と時間がいくらあっても足りないのね。
日本に帰ってバリッと働かんと。

でも、噂一つでスリランカ行きのオファーを受ける俺。
やっぱりカッコイイにもほどがあるディフェンススタディーズ。
今までの我が経歴見れば、分かる人には分かってもらえる。

有難い話です。

俺に興味を持ってくれたことにまず感謝、
そして頂いたオファーに関してはすべて受けたい。
でも金が無いから、次の噂は
「金が無い日本人が金銭的援助を求めてる」にしてもらうんだ。

(ノ∀`)

もしかしたら、またどっかからかオファーが来るかもしれない。
そしたらこっちのもの。

世の中、捨てたものじゃない。
捨てる神に拾う神・・・ 金の使い方が分からない金持ち。

みなさん、俺に金をください。
金になるような仕事でも構いません。

期待には必ず応えます。