4.7.10

スリランカ

2年半ぶりのスリランカ

人生どこで狂ったか、スリランカに興味を持つようになり、それはシンハラ人というよりもスリランカタミル人に興味の矛先が結果的に向った。ぶっちゃけ、厄介なものに手を出したと思う。紛争とか厄介すぎる。でも、1年以上もタミル人しかいない、そんな辺鄙な土地にいたら致し方ないと思う・・・俺はスリランカを知ってるけど、北東部しか知らないorz

しかもスリランカでもシンハラ人へのアクセスはいくらあっても、北東部に住むタミル人へのアクセスは本当に面倒。特に紛争中だった頃北東部へ行くのは難しかった。紛争が終わってもプロジェクト云々とは何も関係がなくなった今は北東部には入れない。

行きたくても行けない状況はどうすることも出来ないんだ(TдT)

だから突き詰めた話、俺がチェンナイで大学院に通うのも、休み期間中にRameswaramまで旅に出るのはスリランカ・タミル人の近くに居たいから。チェンナイ、もしくはタミルナドゥ州はタミル人の世界で、Rameswaramはインドとスリランカが距離的に一番近くなる場所。お互いはたった13キロしか離れていない。そのRameswaramの対岸こそ、今回行った先、マナー島。

実はマナーはまだ一般観光客は立ち入れない場所にも関わらず、どうしてもとある人たちにお願いをして連れて行ってもらった。


・・・マナーに行っちゃった(つ´∀`)つ

見つかったら厄介な人たち、特に日本側の偉そうな人たちにこのブログを見てる人なんかいないだろうから書いちゃったよwww もうチェンナイに戻ってるからお咎め無しでしょ┐(´∀`)┌



マナーでは、政府エリアはもちろんのこと、これまでLTTEエリアだった場所にも行くことができた。生き残った奴、戻ってきた奴、全部ひっくるめ会ってきた。

実は昔一緒に働いてた奴Cがまた新しいプロジェクトで働いてるんだ。Cは元々LTTEエリアの出身だったため、短いときは1ヶ月に1回場所を変え、合計16回も避難を繰り返した。その期間、俺らとの連絡が途切れた時間も長かったんで、死んでないのが分かったときは嬉しかった。新しい事務所であいつに会った際、いろいろビッグストーリーを話してくれた。紛争が終わる直前、LTTEエリアから政府エリアへのボーダーを越えた時、トラに後ろから撃たれた。それでもどうにかしてLTTEエリアを離れた。ひざに残ったその傷は今でも生々しい。そして、俺にこう言ったんだ。


"I lost everything"


家も財産も何も残ってない。家族さえ失った中でかろうじて自分の体と奥さん、そしてあいつのチビッ子だけはちゃんと戻ってきた。

あいつは言うんだ。

「子供はまだ2歳半でこれまで何が起こったかなんて覚えてない。俺が言ってるビッグストーリーはあの子には関係ない。これからのことだけ、今から起きることだけ覚えてくれればいい」


紛争は終わった。いままでとは全く違う。その変化は俺にさえ明らかに見えるわけで、表面以上に内面的な変化も大きいはずなんだ。

あいつを含め、難民キャンプ(Menik Farm)から戻ってきた連中が必死に生活を立て直しているのを直接目撃できた。みんな、スゲェやる気よ。

てか、有り得ないくらいカッコイイだ。


俺には世界一に見えた。


世界一を見せるつもりが、逆に見せつけられてしまったよ



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Menik Farm
軍に監視され、有刺鉄線で囲まれていて、国連など援助関係者しか入れない。
中の状況は凹む・・・


新マナー橋
真面目にマナー=愛(まな)、愛の橋

なんかセンス悪くね?www


Shantipuram:インドからの帰還民村
この後、俺を知ってる30人近くの村人がワラワラ集まってお祭り騒ぎに・・・
右端がRDS, Rural Development Society Vice President


昔、一緒に働いてたスタッフも俺のためにわざわざ顔を出してくれたよ。


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マナー以外にも今回は観光でスリランカに行ったので、今まで行ったことがなかったキャンディにも行ってきた。
今回撮った写真を何枚かアップしました。



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