フットサルチームが動き出したのは去年10月。それから半年以上が経過した。現在の顔ぶれを見ると結構面白いし、人数自体も増え続け、チーム作りは順調だったと思う。
チームのコンセプトは、
「ウダウダ、楽しく楽しく」
そのコンセプトは実際の形にするべく、チーム内において、俺は勝手にマネージメントの全てを負ってきた。人集め、場所の確保、飲みのセッティング、また最低限の作業で効率よく事が運ぶようメーリスを作り、毎回写真も全員で共有できるうような環境を整えた。誰が入っても毎回同じように回せるような状態を作ったのは、誰かの指示ではなく、俺の個人的な勝手な判断。
理由はチームとしての成熟以外にもう一つある。それは言葉が適切かどうか分からんけど、俺は参加型開発の実験としても捉えていたから。
チームは俺ともう一人からの人伝いから成っているけど、そのトモダチ・知り合いのつながりが膨れ上がった結果、年齢層も下は大学生から40代までと幅広く、いろんな人が集まった。全員が何らかのつながりを持っているとしても、ほとんどが初対面なため、人間関係をゼロから構築するには作業が必要になってくる。インプットだ。
開発援助の下、参加型開発プロジェクトを実施する際には現地住民の参加が絶対だ。要するに、ローカルのニーズを把握し、参加型の名の下に住民自身が開発を行う。参加を促して、定着させ、プロジェクトが引いた後でも、住民だけで持続できる環境を作るのは、今回のフットサルと共通点が多い。だから、俺は参加型の実験としてきた。
チームにおいて、各々のニーズを把握して、全員が満足を得られるようなインプットを行い、最上級のアウトプットを出して、それが継続する。それが理想だった。
でも、俺がマネージメントを一括して行う限り、いろいろな不都合が生じると思う。
俺の仮定としては、チームの人間の参加理由が俺の存在にあるなら、コミュニティとしては成り立たないし、参加型開発なら直接メリットのある(金になる)時期だけに限定されることになる。結果として持続できない、自活できない、ただの俺と愉快な仲間達になりかねないというのはずっと不安要素としてはあった。
最近やはりその仮定が表面化してきた。俺はこのチームに直接関わるのは6月までだ。
全員が主導権を握って、独立したチーム、言い換えればコミュニティや組織になる前に、俺が離れるとそれに付随してチームを離れる人間が現れてきた。
現時点ではっきりしているのは、俺からのインプットが間違っていたということ。参加を促した上で、その先も残って、定着を目指してきたアプローチにはズレがあったらしい。全員が全員100パーセントの満足を得られるとは不可能とはいえ、この結果にはへこむ。加えて、「ウダウダ、楽しく楽しく」の感覚が共有できなかったのは致命的。
正直、これからどう展開していくかは未知数。俺が他人に痛みを与えるような結果になるのは辛いね。消えないつながりが少しでも増えたらいいと思う。横のつながりを作るのは今からでも遅くはないはず。
それに俺が関わったんだから、簡単に潰されても困る。
潰された結果を持って、インドでコミュニティ・ディベロップメントをする自信はない。平和構築だのセカイセイハだのって騒いでるのに、このままただのアホの戯言で片付けられる… カッコ悪すぎ…
【結論】
人を束ねるのは難しい。
感覚を共有するのはもっと難しい。
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